低線量被曝って危ないんじゃないの?

※20110725 『被爆』を『被曝』に訂正

 先日、話しをしていたらまた原発事故の話になりました。
 どうやらその方は低線量被曝のことを気にしてらっしゃるみたいで、

 『どんなに微量の放射線でも、浴び続けたら危ないんでしょう?』

 みたいな事をおっしゃっていました。
 
 どうやら、ひっくり返した砂時計みたいに、ゆっくりゆっくり放射線被曝量が累積していって、あるとき発ガンなり奇形誘発なりをするみたいなイメージをもたれているみたいです。


 このイメージは僕の個人的な直感からするとなんかヘンです。

 そこで論文をあさってみたところ、面白い論文を見つけました。チェルノブイリの『赤い森』*1でマウスをガンマ線被曝させた論文です。ちょうどよいのでこの論文の解説文を工作しようと思います。今回も無料で全文読める論文です。本当にいい時代ですね。


この論文の示すデータは大きく分けると以下の二つです。

 1.マウスに染色体にダメージがあるほどのガンマ線量を被曝させたが、ゆっくり被曝させた場合はまったく影響がない
 2.マウスに弱くガンマ線被曝させたあと、強いガンマ線被曝させると、強いガンマ線をいきなり被曝させた場合に比べてダメージが軽減される

『Radio-Adaptive Response to Environmental Exposures at Chernobyl』
(訳:チェルノブイリにおける環境放射線曝露への適応反応について)
Radio-Adaptive Response to Environmental Exposures at Chernobyl

 ではさっそく紹介します。いつも通りアブストラク*2の全訳から。

アブストラク

 環境中の放射線にさらされることで引き起こされる遺伝学的影響は、放射線管理政策の観点からも、放射線によって引き起こされるヒトへの健康影響を理解する観点からも重要な意義がある。本論文中で示す調査の主目的は、以下の二点を評価することである。
 1.放射線の被曝量と被曝する速度に応じて遺伝毒性がどのように変化するか。
 2.あらかじめ様々な強度の放射線あびると、(その後の放射線に対して)適応反応が起こるのかどうか。
調査の結果、(マウスに対して)ガンマ線10 cGy*3を亜急性被曝*4させても、染色体へのダメージはコントロールと見分けのつかないものであった(要はダメージが見られなかったということ)。また亜急性被曝させたマウスにたいして1.5 Gy*5ガンマ線を急速に照射したところ、すべての実験群において放射線適応反応が観察された。これはガンマ線をゆっくりと被曝することで、その後の急速なガンマ線被曝による遺伝的ダメージを減らせるということを示している。さらにこのことは、環境中のガンマ線にさらされることは、健康上有益な効果がある可能性と、『線形しきい値なし仮説』(LNT)がこのデータからは支持されない*6ということを示している。

用語解説

 今回の論文は若干なじみのない*7用語がありますので、その補足解説を先にしたいと思います。

【小核試験】
  今回の実験では放射線ガンマ線)が染色体(遺伝子)に与えるダメージをどのように検出するかが重要です。本論文ではマウスの赤血球を使って検出をしています。それがこの小核試験です。様々な物質の発ガン性を調べるときにも使われるようです*8。この小核試験は『赤血球には核がない』という性質に着目した染色体ダメージ検出方法です。原理は以下の通り。
 
1."何らかの原因"で骨髄細胞(赤血球の元になる細胞)の染色体にダメージが与えられ、染色体の一部がちぎれる。
2.骨髄細胞が赤血球に分化すると普通、核は細胞外に捨てられる。
3.しかしちぎれた染色体の一部は核として扱われないので細胞外に捨てられず細胞内に小核として残る。*9
4.そこで成熟した赤血球のうちどれだけの割合が小核を持っているかを数えると染色体へのダメージが定量できる。
  小核は正常な赤血球にはないため、小核を持つ赤血球の数が多いほどダメージが大きいと考えられる。*10
 今回の実験では"何らかの原因"がガンマ線に相当します。ガンマ線以外の条件はできるだけそろえているので、少なくともダメージの主因はガンマ線になるはずです。

【線形しきい値なし仮説(LNT)】
この用語はいい解説がネットにたくさんあります。
 参考リンク:2011-04-28
       :2011-04-01
今回の論文では『ガンマ線を浴びるのはどんなに少量であっても身体に悪い。安全な被曝量なんてない』という考え方だと思ってもらっていいと思います。

内容

本論文では、環境中にあるガンマ線の影響を調べるため、マウスをチェルノブイリの『赤い森』にある3地点を選んで置きました。(各地点にマウス10匹ずつ)
 この3地点はそれぞれ放射線強度が異なり、それぞれ10日間、20日間、45日間置いておくとマウスが10 cGy被曝するように選んであります。
 10日間で10 cGy被曝するということは、45日間で10 cGy被曝する地点よりも被曝するスピードが速いということです。
 ただ屋外ということもあり、実際にはぴったり10 cGy被曝ではありません。実際の被曝量は以下の表の通りです。
 また比較のため、研究室で急速に被曝させたグループもあります。
 

10d:10日間で10 cGy被曝させたグループ
20d:20日間で10 cGy被曝させたグループ
45d:45日間で10 cGy被曝させたグループ
Acute:急速(20分間程度)に10 cGy被曝させたグループ
1.5 Gy acute:急速(4.5 時間程度)に1.5 Gy(=150 cGy)被曝させたグループ

Expected dose rate :被曝速度の理論値
Expected total dose:総被曝量の理論値
Observed dose rate:実際に測定した被曝速度の値
Observed total dose:実際に測定した総被曝量の値

(ちなみにこのエントリの最初に載っている画像は被曝量測定のときに使った『パラフィン製のマウス模型(センサー入)』です)

さらにコントロール(対照群)をとるために、以下の図ような実験を組みました。

Control Group Laboratry : 実験室でマウスを飼いガンマ線にあてないグループ
"sham"Group Dose-sham : 『赤い森』で飼うマウスと同様の飼育条件で飼うが、ガンマ線はあてないグループ
10 cGy Prime Dose-field(SAP):『赤い森』に置き、それぞれ10日間、20日間、45日間かけて10 cGy被曝させたグループ。
10 cGy Prime Acute Dose-lab(AP):10 cGyを急速に被曝させたグループ。
1.5 Gy Acute Dose-lab(C):1.5 Gyを急速に被曝させたグループ。

なお矢印の途中にある『1.5 Gy "challenge"』は10 cGyを被曝させた後、さらに1.5 Gyのガンマ線を急速に被曝させたことを示しています。『1.5 Gy "sham"』はガンマ線照射装置にマウスを乗せたものの実際には照射していないグループ(対照群)です。

実験結果

では一つ目の実験結果です。

上に示した各グループから血液を採り、小核試験を行いました。
その結果が以下のグラフです。

Control:実験室で飼い、まったくガンマ線をあてなかったマウスのグループ
Sham:『赤い森』と同じ飼育条件で飼育したが、置いた場所は『赤い森』ではなく、ガンマ線は当たっていないグループ
10d:『赤い森』の中で10日間かけて10 cGy被曝させたグループ
20d:『赤い森』の中で20日間かけて10 cGy被曝させたグループ
45d:『赤い森』の中で45日間かけて10 cGy被曝させたグループ
Acute:急速(20分間程度)に10 cGy被曝させたグループ

 なお縦軸は小核が見られた(遺伝子が傷ついた赤血球)の割合です。

このグラフから、急速に10 cGyのガンマ線を被曝すると染色体(遺伝子)が傷つくことが分かります。
ただ興味深いことに、同じ10 cGyの被曝といっても長時間かけて浴びればまったく影響がないことを示しています。
また10 cGyを45日間かけて浴びた場合も、10日間かけて浴びた場合も違いはありません。



次に二つめの実験結果です。
こちらも各グループの小核試験結果です。

Control:実験室で飼い、まったくガンマ線をあてなかったマウスのグループ
Sham:『赤い森』と同じ飼育条件で飼育したが、置いた場所は『赤い森』ではなく、ガンマ線は当たっていないグループ
SAP:『赤い森』の中でマウスを飼育し10日間、20日間、45日間かけて10 cGy被曝させたグループの平均
AP:実験室で急速(20分間程度)に10 cGy被曝させたグループ
SAP-C:『赤い森』の中でマウスを飼育し10日間、20日間、45日間かけて10 cGy被曝させた後、24時間間をあけてから、さらに1.5 Gyのガンマ線を急速に被曝させたグループの平均
AP-C:実験室で急速(20分間程度)に10 cGy被曝させた後、24時間間をあけてから、さらに1.5 Gyのガンマ線を急速に被曝させたグループ
C:1.5 Gyのガンマ線を急速に被曝させたグループ

このグラフから1.5 Gyのガンマ線を被曝させたグループ(Cのグループ)は染色体(遺伝子)へのダメージが大きいことが分かります。
しかし事前に弱いガンマ線を被曝してから、強いガンマ線を被曝したグループ(SAP-C とAP-C)は、ただ1.5 Gyのガンマ線を被曝させたグループ(Cのグループ)に比べて染色体(遺伝子)へのダメージが少ないことが分かります。これは『事前に弱いガンマ線あびると、強いガンマ線に対して適応反応がおこる』ということを示していると考えられます。またこの適応反応は事前に急速にガンマ線を浴びたほう(SAP-CよりAP-Cのほう)が強いようです。

普通に考えると事前に弱く被曝させたグループは、ただ単に1.5 Gyのガンマ線を被曝させたグループより総被曝量は多くなります。しかし染色体へのダメージは総被曝量に比例しません。総被曝量から考えられる理論値と実際の測定値を比較した表が下の表です。

以上が実験結果です。

論文中の考察

 本論文の著者はディスカッションの中で、『なぜ有害な量のガンマ線であっても、ゆっくり被曝させればダメージが起きないか』について考察しています。
 遺伝子の発現を比較すると、ゆっくり被曝したグループは急速に被曝したグループに比べてSOD1という遺伝子の発現量が高くなることが分かりました。このSOD1という遺伝子はラジカル除去にかかわる酵素をコードしている遺伝子です。そのためガンマ線を浴びることで発生するラジカルを分解することで、そのダメージを防ぐのではないかという仮説が示されています。ただ急速に被曝させたグループではSOD1の発現量は上昇しないので、ガンマ線への適応反応には複数のメカニズムがあるのではないかとも述べています。
 またゆっくりと被曝すると影響がないことから、今回の結果からは『線形しきい値なし仮説(LNT)』が支持されないともいえます。

僕の感想

 被曝と一口に言っても、ゆっくり被曝するのと、急速に被曝するのでは影響が違うというところはとても納得できました。
 同じ『500 Jのエネルギーを受け取る』であっても『エアガンで350回撃たれる』*11というのと『ピストルの弾を一発撃ち込まれる』*12では意味が違います。
 ただこの論文では『この結果は低エネルギー放射線(ガンマ線)に限るものであり、高エネルギー放射線(アルファ線ベータ線)には適応できない』とも述べています。また『赤い森』に置かれたマウスは放射線で汚染されていない水と餌で飼われており、内部被曝は考慮されていません。そのため放射線一般に適応することはできません。

 とはいえ、『どんな微量の放射線であっても、どんどん累積する』という認識は間違っていそうです。
 要は放射線を気にしすぎないほうがよいのではないかということです。

関連エントリ
 チェルノブイリ原発と植物の奇形に関する論文を読んだ - 工作blog
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*1:チェルノブイリ事故のあった発電所近くにある放射線の強い森。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E6%A3%AE

*2:論文をあまり読まれない方のために申し添えますと、このアブストラクトというものは論文全体の要約です。なのでここを読んで『あ、思ってたのと違う』と思ったら読まないほうが時間の節約になります

*3:10 センチグレイ = 100 ミリグレイ。おそらく今回は100ミリシーベルトと考えても大きく外れてはいないと思います

*4:弱めのガンマ線を照射して、比較的ゆっくり被曝させること

*5:1.5 グレイ = 1500 ミリグレイ。おなじく1500 ミリシーベルトと考えても大きくはずさないかと思います

*6:もっと言えば正しくない

*7:僕にとってなじみがないという意味です。おそらく一般的には有名な用語だと思います

*8:http://www.jisha.or.jp/jbrc/studies/knowhow/file06.html

*9:要はちぎれた染色体の一部には動原体がないため紡錘糸が結合できず核と同じ挙動ができないということ

*10:もちろん赤血球を数えるのは目視ではなくフローサイトメトリーです

*11:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%B3#.E8.A6.8F.E5.88.B6

*12:9 mmパラベラム弾 http://ja.wikipedia.org/wiki/9mm%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%BC%BE