ネットの情報は役に立たない

なぜならば皆がアクセス可能なので、情報優位性がないからだ。真に価値のある情報は人の中にしかない。特定の人しか知らない情報を集め、自分のなかに蓄えることが重要だ。
 ・・・といった感じの言説を聞きました。

就職セミナーの話

 就職セミナーに出席したら、『面接の重要性』みたいな話を講師の人がしていました。だいたいその人の話の70%位は納得したよ。その講師の人は長年就職活動に携わってきて、リクルートのライバル会社的なものをやってた人らしい。自称『就職活動の化石』だそうです。全体的には得した気分でセミナーを受けられたので幸運でした。

でも残念なことに『ネットの情報は役に立たない』の部分は理解できなかった

 そのセミナーで冒頭のような話を聞きました。で、その話を聞いた時に、まるで自分のおやじの話を聞いているような錯覚に陥りました。もしかしたら、前におやじから同じ事を聞いたのかもしれません。でもその時も納得できなかった気がする。というわけでなぜ納得できなかったか書いておこうと思う。

まず単純に考えてみる

 生物学をやってて感じるのは『淘汰圧は甘くない』です。たしかに、人間の身体にも進化の名残みたいな、今はあまり役に立たない器官があります。尾てい骨とか、盲腸とか。でも役に立たない器官に代謝エネルギーは多く振り分けられません。そんなことをしたら生存はおぼつかず、淘汰されてしまいます。おそらく『ネット』という社会の器官も同じです。役に立たないものにここまで爆発的なエネルギーが投下されるとは考えにくい。ネットの価値が情報で成り立っているとも考えられるので、『ネットは役に立つ』の方が正しい考えのような気がします。

ではなぜ『役に立たない』と思われているのか

 僕がネットにはじめて触れたのは大体10 年くらい前です。つい最近といってもいいですね。はじめてさわったのはウィンドウズ95でした。おそらくうちのおやじや講師の人がネットに触れたのはもう少し前だと思います。その頃のネットは規模も小さく、流通する情報量も限られていたでしょう。いうなれば『学級文庫』です(学級文庫というのは小学校低学年の教室に小さい本棚があって、そこに選ばれた少数の本を置いておくというシステムです)。学級文庫はもちろんクラスのみんながアクセス可能でした。なので学級文庫においてある『動物図鑑』で仕入れた『ゴリラの学名はゴリラ・ゴリラである』という知識をクラスの友人にひけらかすと『それ学級文庫で読んだよ〜』といわれたものです。情報優位性は発揮できませんでしたね。
 でも不思議なことにある学年以降になると情報優位性を発揮できるようになりました。『西ローランドゴリラの学名はゴリラ・ゴリラ・ゴリラである』という知識は『へ〜』といってもらえたものです。この情報は図書館で仕入れたものでした。もちろん図書館もみんながアクセス可能でした。
でもなぜか情報優位性が発揮できた感じです。

どこかの段階で『相転移』が起こったらしい

 水を冷やしていくとある温度(普通は0度よりも低い温度)で急に凍り始めます。シャーベット状態ということはなく、小さな氷を核にして急速に結晶化します。こういう感じのことを相転移というのですが、図書館でも同じことが起こったらしい。学級文庫の情報量は限られていたのでオープンアクセスにすると情報優位性はなくなります。しかし図書館になるとアクセスはオープンでも個人が取り込める情報量のほうが限られるので全部を取り込むことは不可能です。いわゆる『律速段階』がアクセシビリティーから情報取り込み速度にかわったんですね。

ネットも同じっぽい

 おそらく講師の人は『学級文庫』時代のネットの話しをしていたのでしょう。でも今はどう考えても図書館です。それも国会図書館バチカン禁書庫とアレクサンドリア図書館をあわせたような感じの図書館です。もはやオープンアクセスが情報の優位性を奪うとは思えません。本に出会えるかのほうがよっぽど重要です。しかもこの図書館の検索システムは完璧には程遠く何冊本があるかすら把握していません。

 ようはシステムは単に大きくなるだけで、いろいろ変わるのだということを実感した感じです。