若者の科学離れは嘆かわしい

 そうです。国際学力テストで順位が落ちているらしいし、学問全体に対して若者は興味を失っているように見えます。それに対して『非常に憂慮すべき』とか『このままでは技術立国日本危うし』とか『教育が悪い』とかいう声が聞こえてくる気がする。
 なので今回は若者が『科学離れ』をおこしているとして、その原因を考えてみる事にした。今回『科学』というのは学校でならう科学的な事、つまり理科系科目およびその知識の事です。

『科学』の役立たなさ

 僕の立ち位置を明らかにすると『23歳の理系男子大学院生』です。ようは『科学離れの若者』とは真逆の位置ですね。科学をキリスト教だとすると、教授は司祭、僕は僧侶見習い、『科学離れの若者』は無神論者といったかんじです。
 でも不思議な事に僕は『科学離れの若者』を理解できるような気がします。科学に相当足を突っ込んでいるはずなのに。
理由は以下の通りです。


・『科学』をやっても幸福にはなれない
・それどころか『科学』やってると生存も危うい

 はっきり言って『科学』は全く役に立ちません。『科学』を極めて科学者になったとしても幸福感をえられるのはごく少数でしょう。大半は『科学』を途中でやめる事で(賢明にも)ふつうの社会人になります。

 『科学』というものはもともと哲学が出発点だと思います。で、すくなくともギリシア哲学が成立可能だったのは『スコレー(閑暇)』があったからです。奴隷が働いていたので支配階級は暇があったんですね。だから哲学することができた。もちろん哲学で何か役立つことが分かった場合(天文学からオリーブの豊作を予想して搾油機をつくるとか)、そのことは奴隷側にフィードバックされて社会全体を豊かにしたでしょう。
 しかし大半の哲学的成果はまったく役に立ちませんでした。たしかに数世紀の間にはなんらかの役には立ったと思いますが、考え出した本人にその恩恵はいかなかった。でも哲学していた人は困りませんでした。どうせ最初から暇でしたからね。

 時代は下って現代。あいかわらず『科学』的成果の大半は役に立ちません。『成果を求めない視点が悪い』とか『効率が悪すぎる』とかそういうことではありません。基礎が応用に至るまであまりにも時間がかかるため、有用かどうか判断することは非常に困難なのです。
 しかしギリシア時代とは違います。『科学』している人はいまや奴隷を持っていません。もちろんごく一部の人は『資産』という名の奴隷を持っています。この人たちは『科学』してて大丈夫です。
 問題は職業としての『科学』です。成果が上がりにくいので職業としては非常に不安定です。生物系の研究者の多くはポスドクとして出発します。数年契約の研究者ですね。その後、うまく職を渡り歩ければよいのですがそうはいかないことが多いです。現にポスドクはあまりまくってます。http://d.hatena.ne.jp/aljabaganna/edit?date=20071213
 『科学』やっても将来幸福になれなさそうなのに、わざわざ『科学』する人は少ないでしょう。『科学』離れは当然すぎる結果です。第一『科学』やって成功したヒーローは幸福そうでしょうか?ノーベル賞を受賞した田中さん?MALDI-TOF/MSを可能にした業績は素晴らしいですが、若者には作業着を着たおっちゃんにしか見えないでしょう。少なくともフェラーリを乗り回す『セレブ』には見劣りします。野口英世?彼は何の業績を上げましたか?ただの酒飲みの女好きです。しかも最後はサンプルに殺されました。
 もちろん括弧なしの科学は役に立ちます。でもそれは別に学校でなくとも学べる。『科学』させたいのであれば『科学』で幸せになれると示す必要があるとおもいます。