大人
『大人』
「お父さん、大人になるってどういうこと?」
「そうだな。大人になるっていうことは爪になるっていうことだな」
「爪?手の爪?」
「そうだ。手の爪だ。足でもいいけどな」
「わかんないよ。どういうこと?」
「爪っていうのはたくさんの細胞からできてるんだ。知ってるか?」
「うん。知ってる。学校で習った」
「覚えてたのか。えらいな。まあ爪っていうのはほっといても伸びてくるだろう?」
「うん。何にもしないでも伸びてくるよ」
「爪っていうのは皮膚の仲間なんだ。で、皮膚になる細胞の下には皮膚になる予定の細胞がある。だから爪が伸びるっていうのは爪になる予定の細胞が爪に変化して今まであった爪を少しだけ押すっていうことだ。わかるか?」
「うん。わかるよ」
「じゃあ続ける。爪になる予定の細胞があるように胃になる予定の細胞もあるし骨になる予定の細胞もある。そんでもって何かになる予定の細胞も元をたどれば一つの受精卵から少しずつ変化していったものだ」
「ふーん。そうなんだ」
「元は一つだった受精卵が分裂して少しずつ爪だとか骨だとかになっていく。で、ついには全体として一人の人間になる。この人はまあ言ってみれば今父さんたちがいる社会のことだ。父さんたちのいる社会ではたくさんの人が専門的なことをしてる。爪の細胞が爪の働きをして骨の細胞が骨の働きをするように、お医者さんがお医者さんの働きをしてデザイナーがデザイナーの働きをする。そうすることで細胞の塊が人として生きてゆける。まあ社会でいうと社会全体がうまく回っていくっていうことだな」
「うん。なんとなくわかる」
「だからまあ、大雑把にいって爪が爪になるように専門化していくってことが大人になるっていうことだ」
「わかった気がするよ」
「そうか。でもな、大切なことがあるんだ。指にある細胞みんながみんな爪になっちまったら困るだろ?だから人のからだには何かの細胞になる予備が常にある。わざと専門の細胞にならないっていうことだ。そういう細胞があるからこそ爪が切られても伸びることができるし、皮膚が切れても元に戻ることができる。なにものにもならないというのも重要なことなんだ。わざと専門化しないということも大切な役割なんだ」
「わかったよおとうさん。でも仕事は探した方がいいと思うよ。」