もしかしたらヒトは成長しないのかもしれない

 成長とはどういう事でしょうか?

 成長 - Wikipedia

 簡単にいうと、生物には成熟した形というものがあって、生まれたての個体がそこに近づいていく事を『成長』というのだと思います。


 ではヒトは成長するのでしょうか?

 これに答えるにはヒトに成熟した形というものがあるのかどうかという事になります。
 たしかにヒトは20歳前後で身長の増加はとります。身長に関して言えば20歳前後が成熟した形と言えるかもしれません。しかし、身長は栄養条件に左右されます。江戸時代の日本人の平均身長は男で155〜158 cmだったようで、平均身長170cm超の現代人から見ると非常に低身長な事が分かります。現代人の身長をヒトの成熟した形ととらえると江戸時代のヒトは成長しきっていないという事になります。
 たしかに江戸時代のヒトは成長しきっていないと考えても良いのですが、ここはのこう考えてもしっくりきます。

『ヒトは栄養条件に適応して身長を制御している』

身長が伸びる事を成長ではなく、適応ととらえるわけです。生まれたての子供のように体格があまりに小さいと生存に不利であるため身長は伸びます。しかし栄養条件によってはあまり高身長すぎるとエネルギー消費量が大きく、やはり生存に不利になってしまうため身長は伸びなくなってしまいます。
 じゃあ成長と適応でどこが違うのかと言うと成熟した形というものが想定できるかどうかです。成長では言葉の定義から成熟した形が分からないといけません。適応の方は環境がすべてを決めるため成熟した形は定義できません。しいていえばその環境中でもっとも生存確率の高い*1状態が成熟と言えるかもしれません。環境がほとんど不変であるなら、その環境における生存確率最高の状態=成熟と考えても良いです。しかし環境は刻々と変化しがちであるため以前の環境における生存確率最高状態は次の環境では役に立たない事も多いです。巨大な体という恐竜の適応が、気候変動による食料不足状態では裏目に出るようなものです。なので適応においては成熟と言うものに対する有効な定義はありません。

 では身長以外についてはどうでしょうか?

たとえば知的な能力は学習によって成長すると一般的には思われます。しかしこれも成長ではなく適応であるかもしれません。

例えば識字能力は学習によって得られます。日本語で言えば『50音が読み書きでき漢字1500文字程度を解釈できる』が成熟と言えるかもしれません。

 しかし識字能力が高まると逆に、

ぷ....iii

のような記号を文字としてとらえてしまい、『ボウリングしている人』ととらえるのは難しくなります。文字であるという先入観があるため、絵としてとらえにくくなっているのです。
また『50音が読み書きでき漢字1500文字程度を解釈できる』が成熟であるかどうかもわかりません。環境によってはもっと漢字が読めないといけないかもしれませんし、逆にひらがなさえ読めれば良い環境があるかも知れません。

 なので僕は知的能力というものも成長はせず適応するだけとらえる方が良い気がします。

 ですから『成長は良い事』という考え方はうさんくさく感じます。成長というからには成熟が想定されているはずです。しかしその成熟状態は果たして素晴らしいものでしょうか?逆に生存確率を下げる事にならないでしょうか?

 成長という言葉は往々にして言外に『より良いものになる』というニュアンスを含みがちです。しかしなんのリスクも伴わない変化はありません。より良くなるかは賭けです。

 だから何かを学んだり、身につけたりする際には『成長して(成熟状態になって)良い状態になる』ではなく『新しい適応状態になるだけで、成熟とは関係ない』と考えた方が良いかもしれません。

*1:適応度が最も高いでもいいです。