先日床屋にいったのですが、世話話の中で気になるフレーズがあったので書いておこうと思います。

床屋のお兄さんと話していて気になったフレーズは
『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』
というものです。

 彼はさも世界の真実であるかのようにこのフレーズを投げてきましたが、僕はどうしても『そうですね』と応えられなかったです。なぜなら僕にとってそれは真実とは思えなかったからです。
 しかし、このフレーズは今まで何回も聞いています。なので彼以外にもこのような考え方を持っている人がいることと思います。なぜなのか僕には分かりません。そう確信するだけの何かがあったのでしょう。
 深めに考えてみたところちょっとだけうまく説明できる気がしてきたので書いておこうと思います。

タイタニックの船上モデル』

 突然ですが、あなたはタイタニックの船上にいると考えてください。
 夜中に大きな音を聞いて目を覚ますと、船が氷山と衝突して沈みそうだということが分かりました。救命ボートは出払ってしまってあなたは途方にくれています。船上には取りも越された人たちが当てもなくさまよっています。凍りつく海に飛び込めばほどなく死んでしまいますし、救命胴衣もありません。ここまでが前振り。

 さてあなたも含めタイタニック上に取り残された人の行動として以下の二つが考えられます。

 1.最後の時を楽しむ。
   職務を全うする、紳士的にお酒を楽しむなどして沈没の時間を静かに待つ行動です。映画『タイタニック』でもこの行動が結構見られました。以下このような行動をとる人を『うぃんぷ』と呼びます。

 2.じたばたする。
   オークのドアを引っぺがし、高級ワインの樽と結びつけ、即席いかだを作ったうえで凍える海に漕ぎ出すような行動です。助かる一縷の望みにすべてを賭ける行動全体を指します。以下このような行動をとる人を『まっちょ』と呼びます。

 また『得する』は『命が助かること』と定義します。命が助かれば得ですし、助からなければ損だということですね。うぃんぷもまっちょも自分の命には関心があるはずです。

 さて本題に入ります。沈没直前のタイタニックから助かる可能性があるのはまっちょだけです。つまり得をするのはまっちょだけです。当然ですがうぃんぷは何もしないので船とともに沈み、損しかしません。

 ここで問題なのがまっちょの『得』がうぃんぷの『損』によって実現されているかどうかです。
『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』が正しいとすると、まっちょの『得』はうぃんぷの『損』の上に成り立っているはずです。
 すぐに分かることですが、まっちょの得はうぃんぷの損と何の関係もありません。なぜならタイタニックの事故で何人死ぬかは決まっていないからです。全員助かってもいいし(全員が得)、全員死んでもいい(全員が損)。得られる総利得が決まっていないこの状況はいわゆる『非ゼロサムゲーム』です。まっちょはうぃんぷを殺しても何もいいことがありません。むしろ協力したほうが、より大きいいかだ建造につながる可能性が高い。この世には、皆が得られる利得の総量がきまっていて他人の利得を奪わないと自分が得できない『ゼロサムゲーム』とタイタニック船上モデルのような『非ゼロサムゲーム』があります。だから『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』は必ずしも正しくないというのが僕の認識でした。

 しかし、僕は自分が最強のプレーヤーを見逃していることに気がつきました。このプレーヤーを考えに入れると『タイタニックの船上モデル』もゼロサムゲームです。床屋さんはこのことを想定して話しをしていたのかもしれません!

 その見逃していたプレーヤーは『環境』です。ヒトを取り囲む世界そのものです。『自然』と言い換えてもいいですし、『状況』でもいいです。以下このプレーヤーを『環さん』と呼びます。

 環さんは明らかにまっちょやうぃんぷよりも強い存在です。タイタニックの周りに凍える海を用意したのは環さんですし、氷山を用意したのも環さんです。そもそも衝突事故自体も環さんのやったことです。

 ではまっちょ、うぃんぷ、環さんで『タイタニックの船上モデル』をみてみましょう。
うぃんぷが死んでも、まっちょが死んでもその命は環さんの取り分になります。最大でうぃんぷ全員+まっちょ全員分の命が環さんの取り分になります。ようは環さんを考えに入れるとこの3者間で取引される命の数は有限個なのでゼロサムゲームが成り立つということです。


 なるほど、生き残るためには誰かから命を奪わなければいけないんだ!やっぱり『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』。


 しかしこの話に意味はあるのでしょうか。環さんまで話しに入れればたしかにゼロサムゲームですが、あまり実用上の意味はない気がします。なぜなら命は取引できないし、まっちょとうぃんぷが協力して環さんをだまし討ちするのがもっとも利得が高いからです。では『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』というヒトは何を考えているのでしょうか。

 ここからは推測ですが『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』というヒトは『誰か』を考え違いしているのではないでしょうか?

タイタニックの船上モデル』だとこうです。

 沈みそうな船上で。

まっちょ達『よし、このドアをひっぺがしてその樽にのせるんだ!いいぞ。あとはそこのシルクのカーテンで全体を固定すれば即席いかだの完璧だ。できたぞ!HAHAHA!よし運ぼう。舷側のウィンチがまだ動けば海面に静かに下ろせるが、動かなければジェットコースターだ。覚悟しとけよ。HAHAHA!』


うぃんぷ『待ちたまえ君たち。君たちはそうやって貴重な資源を自分たちだけで独占して助かろうとしている。みろ、もう我々がいかだを作るためのドアや樽は残っていない。君たちは我々の生きる権利を奪ったのだ。そのことをどう考えているんだ』


まっちょ『いや、君たちはただ黙って見ていただけじゃないか。いまさら何を言っているんだ?自己責任だろ?』


うぃんぷ『考えてみて欲しい。単純なことじゃないか。『誰かが得しているなら誰かが損している』。君たちは限りある船上の資源を使って生き残るんだ。それは我々みんなの財産だった。でも君たちはそれを奪い、独占した。われわれはもう助からない。だからそのことを考えて欲しいといっているんだ』


まっちょ『いやいや。周りを見ろよ。まだ机もイスもあるじゃないか。いかだの材料になるだろう?まだまだぜんぜんいけるぜ!』


うぃんぷ『君はそうやってまた我々をだまそうとしている。机やイスは樽に比べ浮力が足りない。いかだの材料にはなりえないんだ。ただのゴミなんだよ。君たちは貴重な樽という資源を独占したんだ。この理不尽な状況を作り出したのはまさしく君たちなんだよ!』

 さて、今回『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』といっているのはうぃんぷです。彼らは樽という資源をまっちょと『奪い合って』いるため、『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』といっています。船上の樽の総量は限られているためまっちょが樽を使うとうぃんぷの取り分は減ります。よってうぃんぷにとってこの言葉は正しいです。
 しかし、考えないといけないことは、樽はまっちょの働きによってはじめて『資源』になったものだということです。もし船上にうぃんぷしか存在しなければ、樽はいかだに化けることなく、樽として海底に沈んだはずです。しかし、まっちょが樽に『浮力供給体』という新しい定義を与えたことで資源に生まれ変わりました。したがってまっちょにとって樽はうぃんぷから奪い取ったものではありません。まっちょにとって『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』の損している誰かは環さんです。

 ようは何が言いたいかというと、『誰かが得しているなら、誰かが損しているんですよ』というメンタリティを持つ人は、得したり損したりしている誰かを正確に見定めて欲しいということです。たいていの場合誰かは環さんのはずです。まっちょが得していても、そのせいでうぃんぷが損していることはほとんどありません。
 もちろん、まっちょとうぃんぷどちらが優れているということはありません。船上では、まっちょもうぃんぷも生きているためともに『適者』です。まっちょが海に漕ぎ出した直後にいかだが崩壊して、まっちょ全員が死ぬかもしれません。史実のタイタニックとは異なり、救命艇が間に合ってうぃんぷが助かるかもしれません。まっちょとうぃんぷは取る戦略が違うというだけです。どちらが優れているかは環さんの出方しだいです。

 よって確実にいえることは一つです。

 『まっちょとうぃんぷは協力して環さんに対抗するべきである。それが双方の利益にとってよい』