僕が今までに味わった最大の恐怖

 僕はあまり恐怖に接してきませんでしたが、今でも人生最大の恐怖だけは覚えています。なんとなくそのことを書いておきたい。

4歳くらいの時のこと

 おそらく僕は4歳まで人間ではありませんでした。
 もちろん外側から見れば僕は人間だったと思います。でも自分では人間ではない何者かであると思っていました。そう思っていた理由は簡単です。
『僕には顔がないから』

 僕の母親には顔があって他の人間と見分けることができました。父親にも顔があってやっぱり見分けることができた。祖母も祖父もその他の人間にも全部顔があって簡単に彼らを見分けられました。
 しかし、自分では直接的に顔を見られないので僕は自分に顔がないと思っていたのです。それどころか自分自身は何の情報もなくても常に他人と区別できるので顔が必要ない、そのため顔がないのだとも思っていました。

 周りの人間には顔があるのに自分には顔がない。
 顔がないから自分は人間ではない。 
 だから僕は人間ではない超越的な存在だ。

 論理的にも破綻していますが、当時僕は確かにそう考えていました。
 ですから、母親が『しわが増えちゃった。年取るってやね』といっているのを聞いても、『人間は年をとるらしい。大変なんだな』と思っていましたし、『人は必ず死ぬ』といわれても『人間というものにはそういうシステムがあるらしい。不便だな。自分には関係ないけど』と思っていました。つまり僕は超越者だったので人間に当てはまることからはまったく除外されていたのです。

 しかしこの状態はあるとき突然崩れ去りました。

 そう。鏡です。

 僕は4歳の時に鏡を見たのです。
 別にはじめて鏡を見たわけではありません。それまでも僕は鏡を見ていたはずです。しかし僕は鏡に映る自分の姿をテレビに映った映像と同じものだと認識していたようです。そのため自身を映す『鏡』というシステムは僕の世界には存在しませんでした。
 
 しかし4歳のある日、鏡に映った映像は自分に他ならないと突然気がついたのです。

 その時僕は本当に恐怖しました。本当にとてつもない恐れに遭遇したのです。

 だって鏡に映ったそいつ(自分自身)には『顔』があったんですから。

 僕はその時一瞬ですべてを悟りました。

 自分が人間であること。人間に当てはまることは自分に当てはまること。つまり自分は老い、死にゆく存在であること。

 その時の恐怖は本当に強烈でした。今でも少しだけ鏡が怖いくらいです。
 僕はその日から超越者ではなくなりました。一人の人間になったのです。死におびえ、弱い自分を引きずる人間になったのです。

 今では超越者だと勘違いしていた当時の自分を笑おうと思えば笑えます。

 でもあのまま超越者として振舞っていられたらとも少しだけ思います。