規制 

朝起きると、郵便受けに五通の手紙が入っていた。

手にとってみると、お決まりのダイレクトメールだ。マンション、健康食品、保険に墓石の広告。

どこで住所がわかるのだろう。そのことにむしろ感心してしまう。


 ゴミ箱にカラフルな広告たちを放り込む。

四通目まで放り込んだところで手が止まった。

いやに質素な感じの封筒で、逆に興味をそそられる。


中を見てみると、国勢調査と書かれた書類が入っている。

まだ時間がある。少し読んでみることにした。

『このたび国勢調査を実施することにいたしました。

従来の国勢調査では調査対象が世帯数や家族構成に限られていましたが、今回の調査では化学物質に対する意識を調査することにいたしました。

現在、数百万を越える種類の化学物質が工業的に使用されており、それらの化学物質からさまざまな製品が製造されております。
しかし、近年環境ホルモン地球温暖化ガスなど予期しなかった作用を持つ化学物質が次々と発見され、それらの物質を規制する必要が出てまいりました。
私どもは専門家を集め検討を重ねましたが、専門家には科学者が多く、当然規制すべきだという意見と、科学の進歩のために多少有害であってもそれ以上に公共の利益を増進するものであれば規制すべきでないという意見が対立しており、意見の一致をみません。
そこで今回、一般の方に意見を募り、テストケースとしてある化学物質について規制すべきか否かを判断することにいたしました。
偏見を避けるために化学物質の名前はふせ、その化学物質の化学的特長を以下に列記しますので、なにとぞ公正な目で判断を下していただきますようお願いいたします。』

ほう、政府もなかなかわかってきている。

科学者に規制を任せていてはどうなるかわかったものじゃない。

科学者は研究がしたいのだから規制に賛成するはずが無いのだ。

学者に規制が任せられるのなら、猫に魚屋の店番を頼んでも大丈夫だろう。

『今回規制するべきか否かを議論する化学物質(以下物質A)の特徴

・物質Aは無色透明で無臭、通常の状態では気体として存在しています。

・物質Aは火災を引き起こす原因物質です。なおわが国では毎年63000件程度の火災が発生しており、それによって2000人以上の人命と1500億円以上の住宅、社会資本などが失われています。物質Aを規制すれば火災のうちの何割かを未然に防ぐことができます。

・物質Aは食品や金属などを短時間で劣化させる、反応性の高い物質です。反応性が高いので工業生産において重要な物質ですが、高濃度で物質Aを吸い込むと曝露された時間によっては死亡します。

・物質Aには常習性があり、欠乏すると激しい禁断症状を引き起こします。

・現在、物質Aはほとんど規制されておらず、入手は容易です。しかしながら、高濃度のものは比較的少なく、不純物を八割程度含んだものが出回っています。

このような物質Aの特徴をふまえたうえで、あなたはこの化学物質を規制すべきだと思いますか?』

笑ってしまった。いったい科学者は何を血迷っているのだろうか。

こんな危険な化学物質を野放しにしておいっていいはずが無い。

研究のためとはいえ人命にはかえられない。科学者は別の安全な物質を探すべきだろう。それができないのは怠慢としか言いようが無い。

迷わず『規制すべき』の欄に印をつけて送り返した。


 十日ほどたったある日、朝起きてみると郵便受けに手紙が入っていた。その質素な封筒には見覚えがある。封を切った中を見てみると案の定『国勢調査分析結果』と書かれた書類が出てきた。

国勢調査にご協力いただきありがとうございました。調査結果の分析が終了いたしましたので結果をご報告いたします。

無作為抽出 

 有効回答率93パーセント 
  物質Aを規制すべき75.3パーセント
      規制しないべき 23.7パーセント
  その他1.0パーセント

 上記の結果から物質Aを規制する方針になりました。今期の国会において、物質Aを扱うために免許を必要とすることや、特約店での独占的な販売、無免許者の物質A使用に対する罰則、及び現在出回っている物質Aの回収を旨とする法案が提出される予定です。』


当然だ。

あんな危険な物質を野放しにしておいて良いわけがない。

政府の迅速な対応に感心した。この調子で行けば不景気も犯罪も環境問題もすぐに解決できるかもしれない。

しかし、物質Aとは何なのだろう。封筒をのぞくと二枚目の書類が出てきた。そこにはそっけなくこう書いてあった。




『なお、今回物質Aとして議論していただき、規制の対象となるのは“酸素”です。ご協力ありがとうございました』

少しめまいがした。